タチコマ・アパシー

雑記。思ったことだけです

「もうだめぽ」と言ってくれ

「じゅうぶんに幸せだったのに、俺はそれに気づくまで当たり前だと思っていた。」
失くすたびに思うんだけど、失くすときって後悔ばかりだなって思う。気持ちのいいさよならなんてしたことあっただろうか。強いて言うなら…いや…ないな。
ギターを売る時に、お金が手に入る喜びよりギターを失う悲しみの方が大きかった。
何かを得るということは何かを失うということなのだと改めて実感した。
失ったものを数えるとか、失ったことについて歌うことも多い世界で、まあそんなもの当たり前なんだって割り切っていながらも、そんなバカみたいなことでも、ぐっとくるものはぐっとくる。
そういうふうにして傷口を、何としてでも美しく、いや、ごまかしていないと、痛みに悶えて死んでしまいたくなるからなんだろうか。兎角、急激にからっぽになったと思ったのだ。
すっかり忘れてしまった気持ちや言葉。それに気づいたときに急に穴が開く。
それの感覚で、今全身が穴だらけの気分だ。最悪である。
自分は何者でもないとか、何者かになりたいとか、大切な友人ではないとか、そんな些細なことで悩んだりしていた10代から20代前半にかけての気持ちが、色々な喪失感というか、そんなこと言っている自分に対しても、嫌いを掛けていたし。
言葉がまとまらないまま投げる。
失ったというより、何をしたらいいかがわからなくなった。
正直ギリギリだ。相対的な評価や反応を求めていないと生きていけない。
自分を愛せなかった醜い人間は他人からの愛に固執しがちだ。だから歪む。
別に恋慕の話はしていない、けれど、もうだめだって気持ちでいっぱいだ。好きな人を前にしてこんなこと行ったらぶん殴られるだろうし、俺の心の中で言えるつらいって結局なんなんだろうなって八方塞がりだ。
昔から困難に対して逃げがちだから、打たれ弱いと言われればその通りな気がするし、むしろそれに関してはこんなところで泣き言いうだけで済んできているんだからむしろ打たれ強いとも思う。
側面だらけだから、人間なんて見える範囲でしか人を見れないのはなんか悲しいな。
見える範囲で素晴しいと思われてる友人はそれこそ、もう…いややめよう。
何でもない話を広げすぎて、結局何が言いたいかわからなくなった。
でも最近は他人に大分喜ばせてもらっているので、良い側面を強く見れるようになりたい。
悪いところだけを気にしすぎるのは、良くないと思うし。
(今日の作文)

ハレルヤ

ハレルヤ

 

最近のお気に入り。ノベンバは昔のほうがいいってのもわかるんだけど、ぼくは何だかんだ最新のノベンバがお気に入りで有り続けている、気がする。若干ラルクとか言い出したあたりはキョドったけど。
で、ハレルヤ。これで初めて聴いた。ちょっとノスタルジーで、でも新しいノベンバだなとも思う。いい曲。
でもノスタル爺だから後半でギターとかがギョワーってなるのを期待していたので、ちょっとだけ拍子抜けた感はある。ギョワーってなって欲しかった。ノベンバだし。
でもこれの制作にあたっての小林氏のコメントがすごくいい。純度100。泣けてくる。
だから、聞きたいと思っている。なぜなら俺は音源を買うお金がなかったのだ。
 ので、買いたいが買えてない音楽を紹介する。

3

3

 

これ、僕の大好きな構成っぷりというか。
これって変拍子じゃあなくね?俺が弾き慣れてるせいか?かろうじてなんとかってバンドをやっておきながら変拍子に理解がない上に、拍子を数えたりなんてほとんどしていないので、他人の曲なんて尚更である。
いや、そんなことはどうでもよくて、ラストに大サビがあって、それを3分以内に構成していて、繰り返しのフレーズが多く出ていて、すごく良い。
tricotらしさで言えばそれほどないのかもしれない。ただどちらにせよ、めちゃくちゃ気持ちいいところだけ合わせた感じで、うるさい、小難しいロックが大好きな人にはちょっとどころか結構物足りない気もするが、この、いつまでも噛んでられるガムみたいな、清涼感も長続きする、適度な心地よさと快感が合わさった曲は、今までのトリコだとなかったので、かなりグッときている。まだアルバム、聞いてないけど。
この逆再生PVもいい。逆再生と言えば、この2曲だったのだけれど、これも合わさって3曲になった。そのうち四天王を作りたい。

この曲たちも良い。Alt-Jは待望の新譜が出るのでそれも楽しみ。出たのか。
ブルボンズは普通に曲がいい。俺が悪かったよって俺も言いたい。なんかいいおっさん感。おっさんって言い方どうなのって思うけれど、ちょっとくたびれた、おっさんって最高にいい。かっこよすぎる。俺はそういうおっさんになりたい。

TWiLiGHT

TWiLiGHT

 

 最後にこれ。ほんまにいい。

こないだうちの某が働いてる、モナレコでライブがあるって誘われて行った。
アコースティックだったんだけど、一言でいえば、ライブだった。
いやほんと失礼のないように言いたいんだけど、インディーズのライブってたまに、内輪で楽しもうよ感の強い、なんというかホームパーティ感出したいのかな?ってライブっていうのがあるんだけど、いやあ、うん。そういうのって、入れないので、盛り上がれないのです。語彙力がないからアレなんだけど、もうアレとか言ってるし、いいや。
別に盛り上がるだけがライブじゃないってそういう意味でもなく、盛り上がるってこう、精神的な勃起。いや、ときめき。ああまあとにかく、
緩さを持ちつつきっちりキメてきてかっこよかった。多分あのくらいの箱で見た中では初めて見た空気感だったんだけど、わりとライブでよくあるのがトークで冷めるときがあって、いやほんと僕がこんなこと言っていいのかな。世界一つまらん男やぞ。もうやめとこう。必死なんで。ライブはみんな必死でやってるよ。かっこいい。
いやそんなんわかってるんだけどね。評価する側がされる側の気持ちを考えてたら全部良いになるし、全部良いでいいのかもしれんけど、良いって言ってると悪いがわからなくなっちゃうじゃん。悪いことがないって怖いんだぜ?ほんとよくわからなくなるから。全部オッケーでハッピーになれたらいいけれど、それなりの不幸があるから鳴ることがあるし、悪いも受け入れなきゃ。悪いことを見る目を養います。自分に生かせるかわからんけど。
兎角かっこよかったし、洒落ててよかった。歌を重ねるエフェクトとかの使い方も鮮やかだったので、今度はエレクトロの時に見たいと思っている、など。

SHESAID

就業制限が外れた。
これで晴れて俺は病人からパンピーへ元通りだ。と思っていたが、こういうことは連絡が来るだろうと思って待っているが、何もない。まだ一日なので今日に懸ける。
というわけで、長かった休職期間ももうすぐ終わりそうなので、できそうな時間のかかる作業を今のうちに経験しておこうと思い、始めて動画編集をした。
それがこれだ。


曲自体は昔、打ち込みで作った初めてのボーカロイド曲。
イントロから鳴らしているコードのループが自分好みで、なかなか気に入っている。
自分で作ったものだから当然といえば当然であるが、世に出すのはいつもだが自信がない。自分の分身みたいなものだからそれもまた当然といえば当然である。まぁもしよかったら聞いてみてください。

色々考えたんだけど、自分の中のタイムリミット的なものが一つあって、それがわりといつまでもというわけには行かないことが明確にわかっていることが音楽で、やめるというのもちょっと違うけれど、正確に言えば東京に居ることは本気で肌に合わないと思っているので、要するにバンドとして何かアクションを起こせるのは今のうちだけかもしれないなぁ、なんて思ってたりする。意外とできちゃうのかもしれないけど、ある程度終わりを見据えてないと。いつまでもダラダラと続けるのも、まあロックっちゃロックなのかもしれないけど…

俺たぶんこの曲書いたくらいの時はまだぜんぜん死にたくて、それでいてほんと何もかもどうでもよくなりかけてた。ある意味振り切れてたけど。
まぁそういう時期を超えて、何でか知らないけど今日も生きてるし、お金はないし、絶望する機会の方が多いのに、まだ生きてるって思うと、死ぬのなんてもったいねえなって思えてきて、いつの間にかヤバイところまで来てる。もういつでも死ねるし、それこそ、何もかも失ったときだなって思う。でもまだ何も失ってないからさ。バンドやめたって俺は一人でも音楽が作れるし、絵だって描ける。上手い下手はともかく、楽しみがある。マンガも音楽も映画も新作はどんどん出るし、娯楽があれば生きる意味なんて無意味でいいと思ってる。
せいか、わからないが、たまに距離感を間違える。人と接する時の距離感、実は落ち込んでる時の方がはっきりとわかってるんだろうなって思う。だからたぶん健常者はメンヘラにイライラするところがあるし、いつまでもクヨクヨと傷の舐め合いをするのが、見てられないし、当事者はそれに甘えている。言い方、悪いのかもしれないけど、俺はそういう時期もメンヘラってマジキモイと思いながらメンヘラしてたし、そういうもんだろ。甘やかしすぎてたのかなと思ってたけどそれも今思うと違うよな。それがないともうキツいんだ。
救いみたいな。今でも求めてるかもしれない。人の代わりに、純粋に糖分を。
他人にはぼくはもう多くは望まない、多少いいことされたら嬉しい、多少ひどいことされたら、悲しい、けど人間がいつでも自分にとって正しいことなんてないから、そういうもんだと思うようにしている。

脳みそこねこね困憊る。

お婆ちゃんの部屋の小さな目覚まし時計は、アラーム音がクラシック曲で多分4種類くらい選べたんだけど、その中の一つ。メヌエット
メヌエットと言えば、バッハの方を普通は連想するが…何でか知らないけれど、こっちのメヌエットを先に覚えていて、単旋律だけの短い繰り返しのアラームだったがやたらと印象に残ったのは覚えてる。
この曲、今聞くとその少年の心を捉えたものとはイメージが違うのだけれど、なんというか、こういう喩えは間違ってるとか言われたりしたらまあ違うんだろうなとか思ってるけれど、A→Bメロで言い換えると結構強引な展開をするところが好きだったんだと思う。僕はしかも所詮アラームで覚えているので、そこだけの繰り返しで覚えているから尚更である。もしかしたらポストロック的ルーツもそこから来ているのかもしれない。(こじつけ)
というかこのブログ、本当に散漫としていてまさに俺って感じの記事で埋まっていくなぁ、と思いつつ、今日も今日とてノスタルジーに身を浸すのである。
ノスタルジーと言えばあれだ。Undertale。

今更語ることはないので、俺はこれでSteamを知った。知ったというか、知っていたが、使用したことがなかったので、今回使って初めて知った。
まぁ一応知らない人のためにUndertaleを説明するなら、昔のRPGゲー得てしてマザーシリーズに近い空気感とストーリー、それに交わることのなかったシューティング要素のある戦闘。まあ、一番はストーリーというか、そういうところに引き込まれている。
実際ファンも多いし、音楽もかなりいい。やったことがない人にはぜひやってもらいたいと思うが、Steamは多分PCを使わない人にはハードルが高いんだと思う。携帯ゲーとかニンテンドーの筐体に移植されることがあったらぜひやってほしいと思う。それはさておき、俺が紹介したいのは今回こう日の目を見る機会の少なそうなやつだ。

もうね、この毒々しさ、惹かれないはずがない。
全編を通してクレイアニメ調のこの質感。アクの強さがグンバツである。
それでこのゲーム、英語しかないので、おすすめできる要素は正直少ないのだけど、言葉がわからなくてもプレイはできる。というかRPGをやってきた人間なら、なんとなくわかる。
ちなみに英語のセリフなどは調べてみたりもしたけれど、最終的によくわからない。

ランダムで変わるらしい。なんだそれ。つまり意味がないのでは…?
仲間を一人増やす方法がわからなくてだいぶ迷ったりもしたし、雑魚戦にも勝てなくてだいぶ焦るし、リスボーン地点的なところで、塞いでる魚に話しかけたり、なんたり。
でもなんとなくでプレイできます。多分。飽きなければ。
探索するというほど序盤は探索できるわけではないので、多少の英単語を理解できていれば詰むことはないはず。また、このゲームはレベルアップという概念がないので、基本的に防具と肉でなんとかしていく。
魔法はなぜかテレビで覚える。
ざっくり説明すると難易度は高そうですが、基本的には普通のRPGでした。それがまた良かった。ラスボス戦とか、ドラクエとかやってる気分だった。強化して殴って回復して、云々のRPG。多分普通のよくあるRPGだったらもう俺はやらないと思うんですよ。大概魔王的なやつを倒すって、なんかストーリーわかっちゃうじゃないですか。そこでこれ、テキストが読めない。し、異形頭である。要するに目的がイマイチ見えない不透明感も、ちょっとした味だと思える。感情移入できないっていうのも、まぁ不思議なもので、この世界感と合わさって、変な夢を見ているような気持ちになれる。夢の中での冒険活劇、みたいな。
面白いといっても、人を選ぶので、興味がある人はぜひ。俺が買ったときは300円くらいだった。
まぁ無理してやるようなものでもないのかも。普通にUndertaleやってください。それで余裕があったらHylicsの方も触れてみると面白いですよ。
他にもLIMBOとか面白いゲームはあるんだけどね。

七階から観た東京と多摩川の夕べ

 今年の3月に初めて入院した。人生で入院するって機会そうそうないと思っていたし、したとしても車に撥ねられたりしてだろうなとか思っていた。俺は周りを見る力が少し弱いので友人たちと話しながら歩いてるとき「前!」とか「後ろ!」とか言われながら袖を引かれるのである。なにより高校生の時に自転車で車に撥ねられている。だから俺はまたいつか車に撥ねられるのであろうと思っていた。
しかし、だ。俺はまさかの病気で入院した。最初はただの風邪だと思っていたら、肺に水が溜まっている。「はい?」なんて下らない応答をすることさえできなかった。「え?」としか言えなかった。俺が近所の内科から言われた言葉は「入院ですね」ってことだ。色々考えた。お金と仕事…ましてや今都内に住む独身男性で、俺、こんなことで入院してていいの?だとか、更に遡って昨年の11月頃、急に食物アレルギーを発症したことを思い出した。食物アレルギーの方も大変だった。端的に言えば牛だ。牛肉、牛乳系がどうもダメらしいとのことだ。それを聞いたときも俺は「えっ…牛…」なんて嘘っぽく言ったりできたら良かったのかもしれないが、「ほぇ~マジか」と気が抜けたことしか言えなかった。なにより既にその時発症していたので、手が真っ赤に蕁麻疹が出ており、痛くて仕方なかったので当然である。
まぁそんなこと考えていると、「俺って本当に死ぬのではないか」とか本気で思ったりもし始めるわけで、ODで自殺未遂した日を思い出したり、死にたいと本気で泣いていた昔のことを思い出したりするのである。死にたいとあれだけ思っていて、死ねるんだったら本望じゃないか!と素直に考えることも出来なくはなかった。しかしやっぱり腑に落ちないので、どうやら俺は本当は生きたいってことを上京した時よりはっきり、思ったのである。
20代前半で上京してきたわけだが、その当時はここが死に場所だと言ってこっちに来て、真面目に生きてきた反動で貯めた貯金を全部使い、社会的にはもう地を這うような感覚を味わい、それでもまだ生きてるということや、それでも生きていけることを知ってしまったので、薄々そう思っていたことだった。
なにはともあれ、入院することになった。ということで職場に連絡したり、病院に通い俺は晴れて人生初の入院生活を送ることになった。

ちなみに病名はざっくり言うと「肺結核」だった。この歳でなるのはそんなにないらしい。免疫が落ちてくると発症するということで、ふと、昨年九月はほぼ眠らずにひと月を過ごしたことを思い出し後悔した。が、それが直接原因なのかは今もわからないのである。
入院中の生活は、その中でも出来ることを…と思って行っていたので、パソコンで原稿作業をやりながら投薬としっかり三食を毎日食べることになって、上京してから初めてと言っていいくらい健康的な日々を過ごせた。正直、話し相手がいないこと以外はご飯を作る必要もなければ洗う必要もなくて、日常の生活より随分楽だと思えた。入院自体は二週間前後で退院することになり、思ったより早く退院できたので、それはそれで良かったと言える。
しかしだ。まず入院費、これがまた色々とかかってくることになる。幸い、親が心配してくれたので、入院費はなんとかなった。そして休職扱いになる俺は退院してからも手続きとか色々と戦う事になる。そんな面倒くさいことになるとは…と若干ため息をこぼしつつも、お金がないのでそれに抗うことができない。それでこんな話をするのも昨日傷病手当の書類でさんざんたらい回しをされたからである。クソが。
まぁそんなこんなで休職という社会人の夏休みを手に入れた俺は今、いわゆる専業主夫状態だ。
専業主夫というのも、現在俺は友人と同居をしていて、元々家事はほとんど俺だが、完全に専門的に俺になっている。それは構わないのだが、改めてこれが母の仕事かと思ったりもした。
とはいえ、所詮二人暮らしなので、そんなに大変でもなく、一日を見れば大抵が暇である。ので俺はもっと有意義に過ごすべく、娯楽に興じるのであった。

ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド

ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド

 

 まずこれ。すごく面白い。ニンテンドースイッチ
俺はこういった3Dゲーはよく画面酔いを起こしたので苦手であったが、グラフィックの進化はすごい。多分。ポリゴンが荒かったので酔っていたのではないかと思った。
ゼルダの伝説、シリーズ的には全くどれも触れたことがないので、何とも比較できないのだが僕はヌルゲーの増えた現代に、こう、高難易度のゲームが出てくると非常に燃えるのである。高難易度というとハードルが上がりそうだが、昔のゲームは大抵これくらい難しかった覚えがある。寄り道をしたり、倒し方がわからない敵が出てきたり、少年心をくすぐられたようで、凄く冒険したという気持ちになれる。謎解きはなかなか難しいものも多いが、ゴリ押し(脳筋プレイ)も可能なので、俺並みの頭でもクリアできることは証明された。小難しい文体で書いている風なので、本当に脳筋か?と言われればそうでもないのだろうが、入院を経験した後の俺は「生きてりゃなんとかなる」理論で、このゲームも生きてりゃなんとかなる、のである。(適当)

Netflix

Netflix

 

検索したら出た。マジか。
Netflix。これ、TSUTAYAに行かずに大抵のアニメや映画が観れる。素晴らしい。
何が良いって化石じみたPS3でもサクサク動くので、未だに我が家ではPS3が現役で稼働している。Amazonプライムも併せ持っているので、ほぼ網羅できる。強いて言うなら流石に新作はTSUTAYAに行かねば見れないくらいだ。アウトドアの要素を持たずに育ってきた人間にはこれほどまでに丁度いいものはないだろう。月額950円なので、余裕でお釣りが来ると思う。

なかなか入手しづらいマンガ。これも今買い漁りつつ読んでいる。どうやら打ち切りらしいので終わり方はちょっとスッとなっているらしいが…漫画の連載がどうのとかそういう話は日本ではよくある事なので、まあ特に気にしていないが、俺の好きな漫画は大抵打ち切りである。PSYRENノノノノも打ち切りである。悲しい。アンケ出せってことだろう。そう俺は作者に何も貢献していないのである。好きな気持ちを伝えなければ何にもならない、これは恋愛ではないのだ。
話題を戻しますが、「モンジュが可愛い」という理由でしか読んでいないので、俺から理由を聞き出しても「モンジュが可愛い」に始まり「モンジュが可愛い」に終わります。まだ5巻までしか読んでないし。ネタバレするなよ!絶対だぞ!

もう今更だけれど。美味しい。
まあ美味しいのはみんな言ってると思うので、値段だ。 コンビニで多分240円くらい。チョコレートにしてはちょっと高いというのが貧民の見解だ。なにより容量も少ない。俺は明治なら普通の板チョコのほうが食べたい、というのもわかる。それは質より量を取った場合だ。240円なら普通の板チョコは2枚買える。

明治 ミルクチョコレート 50g×10個
お得感では断然こっちだろう。
しかし、だ。普通の板チョコは、美味しいが、飽きる。とにかく飽きる。いや、食べきれてしまうけれど、ちょっとチョコもういいや感が出てくる。2枚は食べたくない。200円で。冷蔵庫に入れて後で食べる選択を間違いなくする。そして後でまた食べたときに、ちょっと飽き感を思い出しつつ食べきるのである。
いやそれもまた幸せなのだ。わかる。甘党だからわかる。それもいい。だが満足感だ。いっぱい食べたからといって、それはただの所詮板チョコなのである。チョコパイには敵わない。ちなみに近所のスーパーにチョコパイが税抜き198円で売っているので俺はそっちを買っている。
そこでだ、このザ・チョコレート、何がいいのか?香り立つし、パキッとした食感、そんなに甘くない。この画像の赤が一番、チョコを求めている人は食べやすい甘さ。ビター度が増すと普通にビターである。
いわゆる「大人な味」系だ。なので大人ぶりたい、そしてそんなに食べなくても適度に満足感を味わえる、そんな年頃の20代にピッタリなわけだ。俺だ。箱も洒落ている。コーヒーに合う。品の良いチョコレートって感じだ。実際言われているとおり美味しいし、3個入りで、ガツガツ食べる普通の板チョコとは違い、ゆっくり食べれる。なんか大人っぽい。なんとなく品性がある。気がする。
要するにそう振る舞いたい時に買うといいのだ。あとはプレゼントで貰えるとそこそこ嬉しい。これもある。
外箱は小さいが小物入れにはなるので何かしらに使いたい人は取っておいてもいいと思う。

liquid rainbow

liquid rainbow

 

最後にこれ。入院中に買った。
SuiseiNoboAzというバンド。普通に考えて、普通の人はあまり聞かないだろうジャンル。バンドマンがおっ、となる系。後はZAZEN BOYSとかその辺を聞く人。


初めて知ったのはうちのバンドの宮田くんが教えてくれた。この時ね。
正直よくわからなかった。良さが。最初は。難しいことやってるのはわかる。
ナンバガザゼンに影響を受けたバンドだなあ感。そこどまりだった。
ただし俺はナンバガキッズなので、なんとなく嫌いじゃないという理由でCDを借りた。まぁ聞いてもその感想は変わらなかったと思う。

ただ俺の見解はこの曲、というかこのアルバムで大きく変わる。乾いた風だ。
乾いた、心地よい風が吹いた感覚だった。めちゃくちゃハマった。恐ろしいくらいハマった。
ハマると恐ろしいもので、前作のアルバムを聞き返すとめちゃくちゃ良く聞こえ出す。
というわけで俺がこういったジャンルの音楽に手を伸ばすようになったのだった。
ハマった理由を考えてみたが、単純に前作より歌もの、と言っていいのかわからないが、明確なメロディを残した曲が増えたのが強い。俺は歌が好きだ。ギターやベースやドラムがどれだけ難しいことをしていようが歌が良くなければダメだ。と言っていいかはわからないが、そう思っている。つまり歌がよかった。
それから暫くして3rdアルバムが出る。
これも良いんだけれど、1stと同じで印象に残ることが少なくて正直最初は、受け付けなかった。
その後、ベースとドラムの脱退を見て、「ああ」と思った。
俺は多分終わったなと思ってさえいた。失礼かもしれないが、そこまでの魅力だと思っていた。
そして今年である。新メンバーを携えての、4枚目のアルバムである。
長かった。前置きも。アルバムも。やっと紹介できる。

この曲。最高にクールである。
曲の後半にかけて体温を持ち始める感覚。すごくいい。硬質な、言ってしまえばひどく低温な曲で、ボーカルだけが生物のように語りだす曲。途中のファズギターのフレーズで、このバンドがこのバンドである証明のように声をあげる。そして間奏のドラムソロ。音が割れるほどのクラッシュ、表現の力が半端じゃないと思った。ボアズの曲は平坦だ。基本的にはそう感じていた。でもこの曲は色を持っていて、最後まで聞いたときは泣きそうにさえなった。というか人が見ていなければ泣いていた。俺がこれを初めて聞いた瞬間は、隣に友人がいたのであった。
今やバンドなんて贅沢な趣味だ。金がなくても、客がなくても、続けることに意味があるのか?

いつかliquid rainbowがやってきて、俺たちみんなを助けてくれる

まあ、そういうことなんじゃないか、と勝手に解釈しておく。

ユースフル・ラストデイズ

黒歴史を見つめてた。失った季節さえ、記録に残る始末。

大概俺って人間は変わらねえなって思った。年令と知識の差はあるし、勢いとか時代性も違うから言ってることもやり方も今と昔じゃ別物だけど、こうしてなぜか定期的に過去を見つめて自分に謎の安心感を与えてるあたりが何も変わってない。
そんなわけで過去のブログの記事とかをここに移した。赤裸々なものというか、今の俺に不利益なんてものは一つも被ることはないのだけれど、言わなくてもいいなって事の方が多い中、老朽化した建造物のように、足を踏み入れたら崩れそうなものだけは消した。
というより黒歴史と言うほど黒歴史じゃないのでは?という気がしてきたのだ。
今更な話だけど俺が生きてきたことを話す上で絶対欠かせない記録で、俺が記録に残す理由は「最近、やけに記憶がとぶなぁ…もしかして昔は文字にいろんな事書き出してたし、そういうことなんじゃ?」なんて単純明快な理由だったりする。いま思いついたけど。まぁ、昔のというか10年近く前のことになるとさすがに俺も高校生なので、当時の高校生を見れると思って創作のネタか何かに使ってくれ。現代には通用しないと思うけれど。記事でも振り返るか。

得てしてこの頃の高校生ってやつは行間が鬱陶しいくらい使うのが、あはれなり。
この記事を選んだ理由なんて特にないが、強いて言うならこの時期に一気に作曲やベースを始めて、好きなものが溢れ、生き生きとしているなあと思ったからである。なんというか力強い。悩みがあるのもまた美しい。俺が美しいわけじゃなく、青い空気感が美しいと、なんとなく思っただけである。
しかしこう思うと人間というより俺という生き物はなんとなくが多い。
なんとなくで10年は生きていられるのも強みなのかもしれないが、逆に言えば何も考えてないだけなので、何か強い目的意識の中で生き抜いてきた人間に比べると、きのこの山たけのこの里くらいの違いだろう。つまり人によるってことだよ。これもなんとなくで言った。深そうで深くない、でもちょっと深い。もう今更いうことでもないが深いとか言ってる奴の大抵はそれほど深くない。

さてその一年後、社会人一年目を迎えたくらいの頃で、もうこの辺からは語ることも特にないがこれはどちらかというと記事の内容で、そんなに経ったのかということに若干、年令を感じたりするわけだ。そんな当たり前のことを復唱するのが僕の口癖であります。
・犬が吠える解散
・元TMGE,アベフトシ急逝
・フジファブ,志村急逝

今更この辺の話を持ち出して、涙を流すとかはしないし、ART-SCHOOL木下理樹みたいに、志村botをいつまでもリツイートして「志村。。。」とかは言わない。ただ、2009年は俺にとっても変化だった。多分初めてバンドを組んだ。俺は家でこそこそ作るタイプだったので、ましてや軽音部がない高校で田舎である。僕が聞く音楽はART-SCHOOLTHE BACK HORNとかの大文字バンドで、かろうじて意見交換ができるのはELLEGARDENRADWIMPSくらいである。しかしこのRADWIMPSというバンド、当時の俺は耳にしたことさえなく、ましてや恋を歌っているので、もし聞いたとしてもファックオフという気持ちでいっぱいになっていたであろう。そんなRADWIMPSと出会ったのもこの2009年にアルトコロニーを聞いてからである。

アルトコロニーの定理

アルトコロニーの定理

 

これは名盤だ。紛れもなく。多分高校生だったらもっと影響を受けていた。
M2.おしゃかしゃまは僕の後輩にあたる高校生は大抵コピーに奔るであろうピロピロリフが耳に残る。
なによりこの曲は、今では増えたかもしれないが早口で口ずさめる、なんとなくカッコイイができてしまう最強の曲だ。カラオケで歌えたらカッコイイし、ギターが弾けてもカッコイイ。ベースなんかスラップしてるからカッコイイ。とまあ、多分おおよそのキッズの心を奪った名曲が入ってるアルバムなので今更俺が紹介なぞする必要もないのだけど。


個人的にはタユタが好きです。と言ったら友人に「あの曲一番嫌い」と一蹴されたのが記憶に新しい。
まぁ俺もなんで好きかって言われたら理由なく好きだというのは思考の放棄だろうか。そこにタユタがあるからだ。とか言っちゃあダメなんだろうか。うるせえよクソったれ。俺が好きなのにお前が嫌いな理由を押し付けんな。好きなのも嫌いなのも押し付けちゃダメだ。ちんちんと同じだ。痴漢で捕まる。そりゃあ世の中は満員電車のようだし、どっかの誰かがちんちん出しててもそれが6車両も離れていたら自分に縁のない話だと思って「こわいね~」「ヤバイね~」くらいの出川哲朗で済ますだろうけれど、今その最中でズボン越しに勃起している男だっているかもしれない。だからちんちんを押し付けてはだめだ。何の話だ。

RADWIMPSと言えば世間で前前前世とかが持て囃されていたので、聞いたけれど、まあ、らしくないという意見もわかるし、らしい、ってのもわかる。従来の曲に比べたらちょっと屈折した野田洋次郎要素が少ないだろうし。でも悔しいくらい口ずさめるサビのメロディのキャッチーさ。あのART-SCHOOL木下理樹でさえ夢で作曲してしまうキャッチーさである。
僕はラッドヘビーユーザーではないので、1や2や3の頃のミクスチャー要素たっぷりの気持ち悪い野田洋次郎を引き合いに出されても、先述の通りアルトコロニーが入口なので、わりとこの曲はすんなり、というかこれがすんなり入らない人間は、性格が屈折しているので、多分17歳の俺なら友達になりてえとか言ってるだろうと思う。多分。

あとひとつだけ言っておくと、野田洋次郎に憧れてハットを被ったり、サルエルを履いたり、丈の長いひらひらした服を着たりするのは、まぁいいだろう。しかしモテないぞ。モテる奴はやっぱり背が高いから許されるのだ。その証拠が俺で、そんな格好を1年くらい続けてると、これくらい気持ち悪いポエムを投稿できるようになる上に、自分が気持ち悪いことに中々気づけないので要注意である。

ある思弁家の記録

さて、数年というかまともに書くのはむしろ初めてなんじゃないか。

相変わらず中身のないブログを書こうと思ったのは、やっぱり140文字に収まらない中身のない発信を

時折したくなるわけで、眠れない理由の言い訳に開設までに至ったわけである。

恥ずかしい前口上はこれくらいにしておくべきなのかもしれないけれど、一応ね。

と、ここまで書いて気づいたのだけれど、思いついたはいいものの、意外と書く事がない。なんだ。何を書けばいいんだ?このままだとレンタルビデオの棚の前で2時間以上立ち尽くして何も借りれないおじさんと一緒の現象になってしまう。

まあ別に綺麗な文体で色々頭いいですよ俺みたいなアピールをする場でもないし、ましてや卑屈なまま20数年生きたらこんな俺になりましたって話でもないし、そんな卑屈なやつが考えてることを時折垂れ流す矛盾だらけの場所というか、まあ酒でも飲みながら語ったような、特に意味のない、読んだ人の時間をただただ奪う無利益な場所にしたいとは思っている。できる。俺ならできる自信がある。自信はやがて確信に変わる。そして確変に入る。だが生憎俺はギャンブルをやらないので言葉で遊んだ上で、何も思いつかないのである。

そして2017年にもなって、未だにバンドをしたいと思っていることに自分でも驚きを感じる。2007年、かつて忍者ブログで青春(と言えば聞こえがいい地獄)を送っていたころ、初めて手にした楽器をガラパコスケータイで写メを撮り、若干キョロ充めいた、謎の「友達いますよ感」を醸し出しつつ、そんな浮かれたことを記事にしたりしていた。

2017年にもなると、やりたいことも変わってくるだろうと思っていたけれど、10年経って結局やりたい音楽は変わらないし、むしろ当時より技術も教養もついているのに、未だに音楽に対して青春の影を追い求めている自分に、こういうものなんだなという、自分を認めることなのか諦めなのか今じゃもうよくわからなくなった上で納得しようとしている。バカでいいと思えるようになったのはすごくいいことだなって思う。

昔の俺はなぜか自分をすっと認めることだってできなかったんだから。

まあそういう意味では意味のない10年でもないのかもしれないけれど。つーわけで。

どうも、tachicoma hikarian clubです。

すいません、かろうじて人間と名乗るのはちょっと恥ずかしいんで無理です。誇りが持てないので。

 

とりあえず日記ですが、ツタヤでアルバム10枚ほど借りてきたわけですよ。

準新作・旧作10枚で1000円。最強かよ。エターナルエブリデイ金欠の俺には大変助かる。なぜならCDを買うお金は他に回ってしまうからだ。いやほんと、ここでも思うわけですよ。音楽やる側なら、CD買えとか色々。すげえわかる。だけどさ、生活ありきなのよ。だから買う必要があるやつだけ買いたいとは思っている。同業者って言うほど偉いもんじゃあないけど、音楽はお金がかかるし、音源を出したら売れて欲しいし、何より聞いて欲しい。だから我々みたいな自主制作バンドマンはなるべくお金をかけず、しかしいいものを作りたいっていう、ものすごい軋轢ってる。なんだってこんなやりづらいんだ。俺も1997年に今くらいの年令だったらスーパーカーになれてんぞオラ!なんてうぬぼれたことは思ったりしないが、それでも飽和しきっているし、というより、インターネット便利すぎ。

インターネット何でもある。ほんと、色んなソフトあるから動画内から音声抜き取るのも素人でできてしまう。しかも発達していってるから俺が2007年とかに見てたものと現在のではまるで別物だ。なんか画質えらいことになってるし。

でも2004年くらいからインターネットに触れてきた身としてはネットで出会う人の温度がどんどん低くなったなあと思うのも事実で…あの頃は良かったなあ。良かったっていうのも変だな、良くはなかったけど、今はなんというか、いきなりグランドラインみたいな広さというか、いきなり尸魂界みたいな。空座町で生きてきた俺は順当に読み進んできたわけだが、もうなんか護廷十三隊出てきてるの。インターネット始めたらもう「射殺せ『神葬』」とか出会い頭に市丸ギン始解で追い出されるの。空鶴さんみたいな人がいたらまだいいだろうけど、人によってはもう…いやもうこの例えいらんわ。覚えてないから。

とにかく怖くなったよね、便利になった代わりに。それだけ。

で、まぁCDを借りてきたんだけど、俺が借りに行く時は大抵こう10枚1000円みたいな時だけだ。お金がないから。何度でも言うぞ。で、そうそう10枚なんて聞く物がないわけよ、今更。さすがに好みが確立しているし、新しいモノに出会うという、新鮮さがまったくないわけじゃないけれど、音楽をやる側になると、少しは研究しだす。なんでか知らないけどあまり知らないジャンルにも手を伸ばしてみようとか思う。で、結局興味がそんなにないままだから付け焼刃にもならず、ただプレイリストに眠らせておくと、忘れた頃になんだこれ、めっちゃいい!とか稀にあるから期待して入れておく。ほとんどないけれど。唯一記憶しているというか、電撃的にハマったのはこれ。

ナンバガに影響受けてる系バンドを大々的に聞いてきた身としては、最早語る必要もないのだけど、知らない人にオススメするには、ちょっとクセのあるボーカルの声と何て言ってるかよくわからない滑舌、ヒリヒリするギター、ゴリゴリのベース、ドタバタのドラムで、ちょっと推しづらい。けれど、青春を引きずってきたいわゆるスクールカースト底辺の20なりたての男が聞くには、それはすごく久々に体に奔ったのだった。

言いすぎかもしれないが、攻撃性と内省的な、やり場のない気持ちが音になって現れてる感じが、その時の俺にはすごくフィットしたのだ。

話は逸れたが、当然借りてきたのはこのCDではない。何よりハヌマーン解散しているし、もう期待しても新譜など出てくるはずがないのだ。
ざっくり借りたのはtricotのmelon sodaがあまりに良かったので、それ以前の作品を聞いてみたくなったのと、前々から気になっていた銀杏BOYZのトリビュートアルバム。あと、アートのB面集。
アートはいいだろ!って思ってたんだけど、いや、何故だろう…リマスターされてるとのことで、一応…とか思って借りた。MEMENT MORI以外持ってるじゃないか!SKIRTとか何度収録されるんだ!とか思ったけど、やっぱりいい曲なので、いい物には抗えないのである。あとは本当、その他諸々って感じ。
で、銀杏のトリビュート、Youtubeでトレーラー聞いて、これは…!と直感した通りだった。

 もうね全部良い。いや曲が良いから当たり前なんだろうけど。でも聞いたことのないアレンジで新鮮味がすごい。冒頭の漂流教室なんか、すごくYUKI。銀杏の曲ってより最早YUKI
銀杏は間違いなく青春パンクで、うるさくて、はっちゃけて、切なかったんだけど、これはそのどれでもない気がする。まぁ曲の持つ切なさは損なってないけれど、爽やかさのほうが勝ってる。すごい。もうこれ以上説明したくない。聞いて欲しい。聞いて、なお良いって思って欲しい。多分こんな辺鄙なページをここまでみてるやつは同じぐらいダメな男か男っぽい女だけなので、ぜひ聞いて欲しい。そういえばコンピってみんな儲けるんだろうか。あまりなさそうだ…


 

あの夜、僕らは17歳だった

色々思い出しながら、色々と記録に残せることはいいのかもなって。

昔の話。まあなんだか、人とのつながりって馬鹿にできないなって。

 

「あの頃、僕らは17歳だった。」

 

文字を残す場所っていうのは、たまには必要だと思う。

誰にも見られないような場所でこっそりと、一言だけ残す。

 

きっとこの感覚は昔から、何も変わっちゃいない。

けれど変わってしまったことのほうが大きくて、本質的には変わらないとしても、大人になるって、臆病だなって思う。

 

「変われるのかな」って気にしてたけれど

大丈夫、大して変わってない。でもきっと当時の君が見たら僕はとんでもなく違う人間だろう。

 

たまに自由に生きている人を見ると、本当に、いつまでもそれが続けられる人っていうのは

いろんな努力してるのかもしれないな。

 

変わることと変わらないことについて。